音声入力について
ブログを書く時間がない、
遊ぶ時間がない、
走る時間もない、
仕事、家事、育児、自分のこと。そんなことをしてたらあっという間に24時間が過ぎさってしまいます。
というわけで、音声入力をしてブログを書いてみました。通勤時間です。
野口悠紀雄さんだったかな。著書の中で言っていたような気がします。所詮人の思考。浮かんでは消え、浮かんでは消えていく思考を音声入力を駆使して、形に残すことができるのではないか、みたいなこと。
iPhone の音声入力だって、まだまだ完璧には程遠い。だから変換ミスがあったり、自分の思うことが、言葉としてなかなか伝わらなかったりすることがよくあります。だけどキーボードを打つときだって本当は、その人の思考全てを表現できるものでは無いと思うのです。
音声入力のなかなか難しいところは、思考回路が頭の中のみで、目に見えないところがあったりする。パソコンだと画面を見ながら、考えることとができますしね。思いのまま相手に伝わるように文字になっているかと言われると、厳しいところがあります。しかもこの「改行」とか「点」とか、そういう本来の話言葉ではない言葉を話さなければならない、ということが致命的。
人は双方向にコミニケーションを取り、話しながら思考していくものだから。なかなかその辺が音声入力の声認識機能としては厳しいところがあると思います。しかも1人で話す恥ずかしさは、やっぱり否めないなぁとも思います。
ただこの音声機能のすばらしいところは、例えば、ローマ字入力が厳しい子どもたちだとか、手先が不器用な人や、その神経の伝達がなかなか厳しい人でも、話すことによってまた新たな書き言葉としての表現ができることだと思います。
そう考えると、「である」といった常体よりも、「ですます」の敬体の方がやっぱり話言葉としては日本人になじみが深いんですね。音声入力に、敬体の方がうまくいくというのは感じます。
音声入力、まだまだ研究したいと思います。