アヤコの日記

母として、教員として、一人の女として思う・考えることを、つらつらと。

見守ること

4時間目の体育は、ひさしぶりのとび箱運動でした。

3年生の子どもたち、とび箱を片づけるのに思っていた以上の時間がかかってしまいました。

給食の準備にも時間がかかります。なにせ、月曜日。給食当番が入れ替わったばかりです。

 

いつもなら食べ始めている12:40。まだ給食当番が配膳をしています。

給食のメニューはごはんと高野豆腐とサラダ。子どもたちが進んで食べるメニューではありません。

「今日の給食は、昼休みまでかかってしまうかな」

いつもだったら、あれやこれや指示を出し、なんとか早く食べさせようとする場面でした。

 

でもあえて、見守ってみました。

この学級で約半年が過ぎました。3年生がどうなるのかな、と思って。

 

子どもたちは10分遅れで食べ始め、私に提案してきました。

「先生、5分遅くごちそうさまにしていいですか。」

「今から机を前にして、早く食べるようにしていいですか。」

へえー、こんなこと言うんだな。

そして、子どもたちの予定通り、いつもより5分遅めに給食時間が終わりました。

 

「先生、○○さんがまだ食べ終わってないので、給食当番の仕事を代わりにしてあげていいですか。」

おお、助かる!

そして、子どもたちは昼休み。元気に外へ遊びに行ってしまいました。

 

結局、私がしたことは「見守る」だけ。

それがいいのか悪いのかはすぐに判断はできないけれど、あれやこれや言いたいのをぐっとこらえるのにかなりの精神力が必要だったのは間違いありません。

 

必要な場面での指示、指導は大切です。

でも、私があれやこれや指示することで、子ども自身が考え、提案し、実行する機会を奪っているのかもしれない・・・。

過干渉な母親ではなく、太陽のように見守ることができる。

そんな精神力、大きな意味での指導力がいるんだなあと思うのでした。